日本史年表 | |||||
時代 | 都 | 政治・経済 | 文化 | 世界の動き | |
飛鳥時代 538-645 |
飛鳥京 592-667 |
538-百済から仏教が伝わる(仏教公伝) | |||
587-蘇我馬子 物部守屋を滅ぼす | 589-隋、中国統一 | ||||
592-馬子、崇峻天皇を殺害 | |||||
593-聖徳太子、推古天皇の摂政となる【太子・馬子の共同統治】 | 593-四天王寺建立 | ||||
☆聖徳太子の執政 | 596-飛鳥寺(法興寺)完成 | 598-隋、高句麗に出兵 | |||
600-第1回遣隋使 | |||||
600-新羅討伐軍を派遣 | 603-太秦に広隆寺造営 | ||||
603-冠位十二階を制定:才能や功績に応じて冠位が与えられる | 605-鞍作鳥が飛鳥寺釈迦如来像をつくる | ||||
604-聖徳太子、憲法十七条を制定 | 606-法起寺創建 | ||||
607-小野妹子を隋に派遣 | 607-法隆寺建立 | ||||
610-法隆寺金堂、玉虫厨子 | |||||
611-聖徳太子『三経義疏』 | 612-隋、高句麗に出兵 | ||||
620-聖徳太子・蘇我馬子ら『天皇記』『国記』 | 618-隋滅亡し、唐建国 | ||||
621-中宮寺創建 | |||||
622-聖徳太子死去 | 623-鞍作鳥『法隆寺金堂釈迦三尊像』 | ||||
623-法隆寺五重塔 | 624-唐、均田制 | ||||
629-般若寺創建 | |||||
630-第1回遣唐使 | |||||
643-蘇我入鹿、山背大兄王を殺害 | |||||
白鳳時代 645-710 |
645-大化の改新:蘇我入鹿暗殺、孝徳天皇即位 | 645-高向玄理・僧旻、国博士となる | |||
646-改新の詔を公布、薄葬令を下す | |||||
649-中大兄皇子 蘇我石川麻呂を滅ぼす | 651-ササン朝ペルシア滅亡 | ||||
658-有馬皇子、謀反の疑いで処刑される | 655-生駒山開山 | 651-『コーラン』成立 | |||
658-阿倍比羅夫、蝦夷をうつ | 658-唐、高句麗攻撃 | ||||
663-日本百済の連合軍、白村江で唐に敗戦 | 660-唐・新羅により百済滅亡 | ||||
664-国防のため北九州に水城をおき、太宰府の北に大野城を築城 | 663-唐、百済を滅ぼす | ||||
大津京 667-672 |
667-近江大津宮に遷都 | ||||
668-中大兄皇子即位、天智天皇となる、近江令を撰上 | 668〜671-石光寺創建 | 668-唐、高句麗を滅ぼす | |||
飛鳥京 672-694 |
670-戸籍(庚午年籍)をつくる | ||||
672-壬申の乱:大海人皇子(天武天皇)大友皇子(天智天皇の子)を滅ぼして即位 | |||||
☆天皇専制支配体制確立 | |||||
673-天武天皇即位 | |||||
673-役人の出身法を定める | |||||
675-豪族の私有民を廃止する | 676-新羅の半島統一 | ||||
678-役人の勤務評定法を定める | 679-矢田寺創建 | ||||
680-天武天皇、薬師寺建立(698年完成) | |||||
681-律令と国史の編さんをはじめる | 680-室生寺草創 | ||||
684-八色の姓を制定 | 686?-長谷寺創建 | ||||
689-飛鳥浄御原令施行 | 690-則天武后、実権を握り、国号を周と称する | ||||
藤原京 694-710 |
694-藤原京に遷都 | ||||
684-八色の姓を定める | |||||
686-朱鳥元大津皇子 謀反の疑いで処刑される | |||||
689-飛鳥浄御原令の制定 | |||||
☆律令体制の確立 | |||||
697-このころ、歌人柿本人麻呂が活躍、山上憶良による「貧窮問答歌」 | 701-高松塚古墳築造、同壁画 | ||||
701-大宝律令完成 | 701-法隆寺金堂聖観音像 | ||||
701-薬師寺東院堂聖観音像 | |||||
704-行基が社会事業で活躍、朝廷はこれを弾圧 | 701-薬師寺金堂薬師三尊像 | ||||
708-和同開珎がつくられる | |||||
奈良時代 710-794 |
平城京 710-740 |
710-平城京に遷都 | 710-山階寺を奈良へ興福寺と改称 | ||
711-蓄銭叙位令:銭の普及 | 712-稗田阿礼、太安万侶『古事記』つくる | 712-唐の玄宗即位 | |||
713-『風土記』編纂命令 | |||||
718-藤原不比等らが「養老律令」をつくる | 718-松尾寺建立 | ||||
718-元興寺創建 | |||||
722-百万町歩開墾計画 | 720- 舎人親王、太安万侶『日本書紀』<六国史の始め> | ||||
723-三世一身の法が出される、土地の開墾の奨励、班田制がくずれる | 721-喜光寺創建 | 723-唐で募兵制実施 | |||
724-聖武天皇即位 | 715‐724十輪院創設 | ||||
724-陸奥国に多賀城を築く | ☆天平文化[7世紀終わり頃から8世紀の中頃]、天平:729年から748年 | ||||
727-中国東北部の国、渤海より使者が来る(以後滅亡まで34回くる) | |||||
729-聖武天皇が藤原不比等の娘を皇后とする(光明皇后) | 730-奈良の興福寺に悲田院・施薬院をもうける | ||||
729-長屋王の変:藤原4兄弟の策謀により、聖武天皇の子を呪い殺したとして、天皇中心政治を目指す長屋王は自害においこまれる | 730-薬師寺東塔、興福寺五重塔建立 | ||||
☆律令体制の動揺 | 733-東大寺創建 | ||||
734-藤原4兄弟、流行病で病没 | 734-霊山寺創建 | ||||
734-興福寺阿修羅像(八部衆像) | |||||
738-皇族の橘諸兄と、吉備真備、僧の玄ムが重用される | 739-法隆寺夢殿 | ||||
恭仁京 740-744 |
740-藤原広嗣の乱 | 741-国分寺・国分尼寺の建設がはじまる | |||
743-墾田永年私財法が出される→律令制のくずれ、荘園の発生 | |||||
難波京 744-745 |
745-法華寺創建 | ||||
745-行基、大僧正に任ぜられる | |||||
平城京 745-784 |
745-東大寺不羂索空観音像、日光・月光菩薩像 | ||||
747-東大寺三月堂 | |||||
東大寺執金剛神像 | |||||
751-現存最古の漢詩集『懐風藻』 | |||||
752-東大寺大仏開眼 | |||||
754-唐僧鑑真来日、律宗を伝える | |||||
754-正倉院鳥毛立女屏風 | 755-安禄山・史思明の乱 | ||||
757-養老律令を施行 | 756-東大寺正倉院 | ||||
757-橘奈良麻呂の変:橘、大伴一族の多数が刑死、藤原仲麻呂の絶頂期へ | 759-唐招提寺を創設 | ||||
759-大伴家持『万葉集』 | |||||
764-恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱 | 763-鑑真死去、唐招提寺鑑真像 | ||||
765-道鏡、太政大臣禅師となる | 765-西大寺創設 | ||||
770-道鏡が下野(しもつけ)(栃木県)に流される | 770-大伴家持ら『万葉集』 | ||||
770-阿倍仲麻呂が唐で客死 | |||||
781-桓武天皇即位 | |||||
☆律令体制の変貌 | |||||
長岡京 784-794 |
784-長岡京に遷都 | 784-室生寺建立 | |||
784-神護寺薬師如来像 | |||||
785-唐招提寺金堂 | |||||
792-健児の制:太宰府など一部を除き、軍団を廃止し郡司の子弟を健児とて地方の治安維持にあたらせる | |||||
平安時代 794-1192 |
平安京 794-1180 |
794-平安京に遷都(律令制の乱れ、桓武天皇が和気清麻呂らの考えを用い、遷都) | ☆弘仁・貞観文化[794〜9世紀] | ||
797-坂上田村麻呂が征夷大将軍、蝦夷の平定 | 797-『続日本記』 | ||||
797-勘解由使を設置:官人の職務交替の円滑化のために、交替完了を証明する解由(げゆ)状を審査する | 782〜806-弘文院設立 | ||||
804-最澄・空海、橘逸勢らが入唐 | 800-ルマン人の活躍開始 | ||||
805-最澄(伝教大師)、天台宗を開く、比叡山に延暦寺 | |||||
806-空海(弘法大師)、真言宗を開く、高野山に金剛峰寺 | |||||
809-嵯峨天皇即位 | 809-不退寺創建 | ||||
810-蔵人所設置(つまり、令外の官):蔵人頭に藤原冬嗣ら任命 | |||||
810-薬子の変:藤原式家衰退、頭家台頭 | 812-空海『風信帖』 | ||||
816-検非違使設置 | 814-小野岑守ら『凌雲集』 | ||||
818-藤原冬嗣ら『文華秀麗集』 | |||||
☆藤原北家の台頭 | 819-空海、高野山に金剛峯寺建立 | ||||
820-藤原冬嗣ら弘仁格を撰上 | 821-藤原冬嗣、勧学院設立 | 821-唐と吐蕃が再度会盟 | |||
823-比叡山寺を延暦寺とする | |||||
823-空海に東寺(教王護国)寺が与えられる | |||||
824-長岳寺創建 | |||||
828-空海、綜芸種智院設立 | |||||
833-清原夏野ら『令義解』 | |||||
838-事実上最後の遣唐使 | 841-観心寺如意輪観音像 | 843-ヴェルダン条約 | |||
842-承和の変:藤原良房が、伴健岑・橘逸勢らを謀反の嫌疑で流罪にする | |||||
857-藤原良房が太政大臣になる(非皇族で初の太政大臣) | |||||
858-清和天皇9歳で即位 | 858-帯解寺創建 | ||||
866-藤原良房、摂政となる | 866-最澄に伝教大師の諡号 | ||||
866-応天門の変:応天門放火容疑で伴義男らが流罪に | 866-円仁に慈覚大師の諡号 | 870-メルセン条約 | |||
874-このころ、国風文化がさかえ、「竹取物語」「伊勢物語」などが著される | |||||
876-嵯峨院を大覚寺と改名 | 875-唐、黄巣の乱 | ||||
884-基経、関白となる | |||||
☆摂関政治の開始 | |||||
887-藤原基経が関白になる(関白の始まり) | |||||
888-阿衡の粉議:阿衡という官位を与えられた藤原基経が不服を申し立てる | 888-教王護国寺両界曼荼羅図 | ||||
894-菅原道真の建議で遣唐使を停止 | 890年代後半-『竹取物語』 | ||||
897-醍醐天皇即位 | ☆国風文化(藤原文化) | ||||
901-延喜の治 | |||||
901-菅原道真が藤原氏によって大宰府に流される | 907-五代十国時代始まる | ||||
902-延喜の荘園整理令 | 905-紀貫之ら『古今和歌集』 | 909-ファーティマ朝 | |||
907-藤原時平ら『延喜格』 | |||||
927-藤原忠平ら延喜式完成 | 916-契丹建国 | ||||
935-平将門の乱・藤原純友の乱 | 平安初期-『伊勢物語』 | 918-高麗建国 | |||
☆武士台頭 | 935-紀貫之『土佐日記』 | 936-高麗、朝鮮半島を統一 | |||
935-空也、西光寺(六波羅蜜寺)建立 | |||||
946-村上天皇即位、天暦の治 | 960-宋建国 | ||||
969-安和の変 | 962-神聖ローマ帝国建国 | ||||
☆摂関政治の全盛、藤原家全盛 | |||||
970-兼通・兼家の繁栄 | |||||
975-『蜻蛉日記』 | 979-宋、中国統一 | ||||
985-『往生要集』 | |||||
992-正暦寺創建 | |||||
995-藤原道長が右大臣 | 996-清少納言『枕草子』 | ||||
1010-紫式部『源氏物語』 | |||||
1016-藤原道長が摂政 | |||||
1017-藤原頼通、摂政となる、道長、太政大臣となる | |||||
1019-道長、関白になる | |||||
1045-新しく荘園をつくることを禁止 | |||||
1051-前九年の役(東北地方でおきた戦乱) | 1053-藤原頼通、平等院鳳凰堂建立、阿弥陀如来像 | 1054-東西教会決定的分裂 | |||
1068-後三条天皇即位 | ☆院政期の文化 | (ローマとギリシア) | |||
1069-後三条天皇が記録所をもうけ荘園の整理 | |||||
1083-後三年の役(奥羽地方で争われた清原一族と源義家の戦い) | |||||
1086-白河天皇譲位し上皇になる | 1086-『大鏡』 | 1066-英にノルマン朝 | |||
☆院政の開始と展開、摂政・関白はしだいに無力 | 1086-金剛峯寺「仏涅槃図」 | 1077-カノッサの屈辱 | |||
1098-源氏の隆盛 | |||||
1105-藤原清衡が平泉に中尊寺を建てる | |||||
1108-源義親の乱 | 1106-『今昔物語』 | 1115-金建国 | |||
1124-平泉中尊寺金色堂建立 | 1125-金、遼を滅ぼす | ||||
1129-鳥羽上皇の院政開始 | 平安末期〜鎌倉初期-『鳥獣戯画』 | 1127-北宋滅亡、宋の復興 | |||
1156-保元の乱:天皇と上皇の対立、源氏と平氏が動員、勝った天皇側についた平清盛・源義朝は力を認められる | 1147-アンコール=ワット建設 | ||||
1159-平治の乱::平清盛と源義朝の争い、清盛は義朝を討ち、その子頼朝を伊豆に流す | 1160-白水阿弥陀堂 | 1162-テムジン生まれる | |||
1164-「平家納経」を厳島神社に奉納 | |||||
1164-富貴寺大堂 | |||||
1166頃-『伴大納言絵詞』 | |||||
1166頃-『信貴山縁起絵巻』 | |||||
『扇面古写経』 | |||||
1167-平清盛 太政大臣になる | 1167頃 オックスフォード大学創立 | ||||
☆日宋貿易 | 1175-法然 専修念仏を唱え、浄土宗を開く | ||||
福原京 1180 |
1180-以仁王の令旨:源頼朝が平氏を討つため、伊豆の豪族北条時政の力を借り関東で兵をあげる | ||||
1180-頼朝、侍所を設置 | |||||
平安京 | 1183-木曽の源義仲が平氏を攻めて京都に入る | 1183ころ-『平治物語』『平治物語』 | |||
1184-頼朝、公文所・問注所を設置 | |||||
1185-平氏滅亡 | |||||
1185-頼朝、諸国の守護・地頭任命権を獲得 | |||||
1189-頼朝、奥州で義経を討つ | 1191-栄西が宋より帰り、臨済宗を伝える | ||||
鎌倉時代 1192-1333 |
平安京 | 1192-源頼朝-征夷大将軍となる{鎌倉幕府の成立} | 1191-栄西帰国、臨済宗を広める | ||
1193-宋銭の流通を禁止 | |||||
1199-農業技術-二毛作開始 | 1198-『法然撰択本願念仏集』 | ||||
1199-頼朝が亡くなり、実権が北条氏に移る、北条時政ら13人の合議制開始 | 1199-東大寺南大門再建 | ||||
1203-源実朝-征夷大将軍 | 1202-栄西、建仁寺建立 | 1202-第4回十字軍 | |||
1203-北条時政初代執権、執権政治開始 | 1203-運慶・快慶、東大寺の南大門『金剛力士像』 | ||||
「源頼朝像」 | 1204-コンスタンティノーブルを占領 | ||||
1205-藤原定家ら『新古今和歌集』 | 1206-チンギスハン、モンゴル統一 | ||||
1212-鴨長明『方丈記』 | |||||
1214-源実朝『金槐和歌集』 | 1215-英、マグナカルタ制定 | ||||
1219-実朝が暗殺され、源氏が3代で絶える、北条政子が政治の実権をにぎる → 「尼将軍」 | |||||
1221-承久の乱:京都に六波羅探題をおく → 朝廷や西国の武士を監視 | 1220-慈円『愚管抄』 | ||||
1223-新補地頭始まる | |||||
1224-北条康時執権、連署始まる | 1224-親鸞が浄土真宗を広める、『教行信証』 | ||||
1225-評定衆設置 | 1227-道元、曹洞宗を開く | ||||
1229-実相院創建 | 1236-バトゥの西征 | ||||
1232-御成敗式目(貞永式目)制定:第3代執権北条泰時がつくった最初の武士による法律(全51か条) | |||||
☆ 下地中分執行 | 1235-このころ、『平家物語』『小倉百人一首』『源平盛衰記』などが著される | ||||
1244-道元、永平寺建立 | 1241-独、ハンザ同盟成立 | ||||
1249-引付衆設置 | 1252-鎌倉に大仏ができる | ||||
1253-日蓮、日蓮宗を広める | |||||
1253-蘭渓道隆、鎌倉建長寺建立 | 1258-アッパース朝滅亡、イルハン国成立 | ||||
1260-日蓮が「立正安国論_」を著し、翌年伊豆に流される | 1261-世祖フビライ即位 | ||||
1268-北条時宗が執権となり、元の使者を追い返す | 1180〜1266-『吾妻鏡』 | ||||
1272頃-康勝「空也上人像」 | 1271-モンゴル、元と称する、マルコ・ポーロ、東方旅行 | ||||
1274-文永の役 | 1274-一遍、時宗を開く | ||||
1275-北条実時、金沢文庫設立 | |||||
「平家物語絵巻」 | |||||
1281-弘安の役 | 1280-『十六夜日記』 | ||||
1282-無学祖元、円覚寺建立 | |||||
☆市の発達、座結成 | |||||
1285-得宗専制化 | 1285-円覚寺舎利殿建立 | ||||
☆ 持妙院・大覚寺、両統迭立協議 | 1291-南禅寺建立 | ||||
1293-鎮西探題設置 | 1293-「蒙古襲来絵詞」 | ||||
1297-永仁の徳制令{貨幣経済の発達}:御家人の困苦を救う | 1299-円伊「一遍上人絵伝」 | 1299-オスマントルコ建国{ルネサンス時代開始} | |||
☆宋銭流通、問丸・為替・借上出現 | 1300-『歎異抄』 | ||||
1309-高階隆兼「春日権現験記」 | |||||
1318-後醍醐天皇が即位 | |||||
1321-後醍醐天皇、親政開始 | |||||
1324-正中の変 | |||||
1331-元弘の変:後醍醐天皇が鎌倉幕府を討とうと計画したが、失敗、楠木正成挙兵/護良親王挙兵 | 1331-吉田兼好『徒然草』 | ||||
1332-後醍醐天皇が隠岐に流される | |||||
1333-足利尊氏、六波羅探題破る、新田義貞、鎌倉攻略{鎌倉幕府滅亡} | |||||
1334-二条河原落書き{建武の新政}:後醍醐天皇が、公家と武士を統一して天皇中心の政治を始める。しかし、その政治は貴族(公家)を重んじ、恩賞も武士には少なかったので、武士の間に天皇の政治への不満が強まった。 | 1334−大徳寺の大燈国師像 | ||||
1335-足利尊氏の挙兵:新政に不満をもつ武士を集めて、後醍醐天皇にそむき、京都を占領 | |||||
南北朝時代 室町時代 1336-1573 |
北朝 (平安京) 南朝 |
1336-室町幕府成立 | 観心寺金堂再建 | ||
☆1336〜1392年南北朝分立 | 『庭訓往生』 | ||||
南朝:後醍醐天皇は吉野にのがれ、そこで政治を続けようとした | 1339-北畠親房『神皇正統記』 | ||||
北朝:京都に入った足利尊氏は、新しい天皇をむかえた、光明天皇を擁立 | |||||
1338-尊氏、征夷大将軍に、北畠親房ら吉野へ帰還 | 1339-百年戦争(〜1453) | ||||
1341-天竜寺船を元に送る | 1345-天龍寺落慶供養 | ||||
1349-足利基氏、鎌倉公方になる | 1347-全ヨーロッパにペスト流行 | ||||
☆このころ倭寇が中国の沿岸を荒らす | |||||
1350-前期倭寇 | 1351-紅巾の乱 | ||||
1356-一条良基『莵玖波集』 | |||||
1359-このころ『太平記』『増鏡』 | |||||
1368-足利義満3代大将軍になる | |||||
1378-足利義満、室町邸(花の御所)に移る | 1374-観阿弥・世阿弥、今熊野神社で猿楽上演 | ||||
1382-足利義満、相国寺建立 | |||||
1391-明徳の乱 | |||||
平安京 | ☆室町幕府の確立と日明貿易 | ||||
1392-南北朝の合一 | 1392-朝鮮建国 | ||||
しだいに北朝・幕府側の力が強まり、南朝側の武士は少なくなった。1392年、3代将軍足利義満は南朝と講和して京都で一つの朝廷になるようにした。 | |||||
1398-幕府、三管領・四職の制を整備 | 1397-義満、北山に金閣建立 | 1397-カルマル同盟 | |||
☆北山文化(14世紀末〜15世紀前半) | |||||
1399-応永の乱 | 1400-世阿弥『風姿花伝(花伝書)』 | ||||
1401-明と国交樹立、倭寇の取りしまりを約する | 1402-如拙『瓢鮎図』 | ||||
1404-勘合貿易が始まる。 倭寇と区別するために正式の貿易船に勘合という割札をもたせた。このころ永楽銭が国内で流通する。 | |||||
1411-明と国交一時断絶 | 1410-周文『芭蕉夜雨図』 | ||||
1416-上杉禅秀の乱 | |||||
☆守護大名の成長 | 1426-興福寺五重塔 | 1429-仏、ジャンヌダルク登場 | |||
1428-正長の土一揆が起こる:近江国の馬借が徳政令を要求して起こした。大規模な一揆の最初。 | |||||
1432-勘合貿易復活 | |||||
1438-永享の乱 | |||||
1443-足利義政が8代将軍となる | |||||
1441-嘉吉の乱 | 1439-上杉憲実が足利学校を再興する | ||||
1450-このころ勘合貿易がさかんに行われ、明銭が輸入される | 1450-このころ能楽・狂言が栄え、茶の湯・生け花・連歌などが流行する | 1453-ビザンツ帝国滅亡 | |||
1467-雪舟・桂庵玄樹ら入明 | 1455-英、ばら戦争 | ||||
1467-応仁の乱 | 1467-このころ公家や僧侶が戦乱をのがれて地方に下り、京都文化が地方に広がる | ||||
1477-応仁の乱が終わって武将が帰国し、戦乱が地方に広がる。 下剋上→戦国時代 | 1476-宗祇『竹林抄』 | 1480-モスクワ大公国、キプチャク=ハーン国から独立 | |||
1485-山城の国一揆:山城国(京都府)で土着の武士と農民が、国内で争っていた守護大名を追い出し、8年間自治を行った | 1485-慈照寺東求堂 | ||||
☆戦国大名の割拠 | |||||
1488-加賀の一向一揆:加賀国(石川県)で一向宗門徒が、守護の富樫氏を追い出し、約100年間にわたって自治を行った | 1489-足利義政、東山に銀閣建立 | ||||
☆東山文化(15世紀後半) | 1492-コロンブス、アメリカに到達 | ||||
1496-蓮如、石山本願寺建立 | 1498-ガマ、インドに到着 | ||||
1500-このころ、朝廷がおとろえ、公家・貴族などが多く地方に下る | 1501-イランにサファヴィー朝 | ||||
1510-三浦の乱 | 1510-狩野元信「山水花鳥図」 | 1517-ルターの宗教改革 | |||
1518-『閑吟集』 | 1519-神聖ローマ皇帝カール5世即位 | ||||
1523-寧波の乱 | 1524-御成敗式目 | 1524-ドイツ農民戦争 | |||
1530-狩野正信没 | 1526-印,ムガル帝国建国 | ||||
1536-天文法華の乱 | 1536-山崎宗鑑「犬筑波集」 | 1534-イエズス会成立 | |||
1543-ポルトガル人種子島に漂着、鉄砲をつたえる | 1541-カルヴァンの宗教改革 | ||||
1549-フランシスコ=ザビエル来日、「キリスト教伝来」 | 1543-コペルニクスの地動説 | ||||
1551-勘合貿易の廃絶 | |||||
1553-川中島の戦い | |||||
1555-川中島の合戦:上杉謙信と武田信玄が信州(長野県)の川中島で戦った | |||||
1560-桶狭間の戦い:織田信長が今川義元を滅ぼす | |||||
1563-大村純忠、受洗、キリシタン大名の始め | 1562〜1598-仏、ユグノー戦争 | ||||
1568-信長、足利義昭を奉じて入京 | ☆キリスト教の進出 | 1568〜1648-オランダ独立戦争 | |||
1571-織田信長が比叡山延暦寺の焼き討ちを行い、一向一揆をしずめる | |||||
1573-信長、足利義昭を京都から追放{室町幕府滅亡} | |||||
安土桃山時代 1568-1603 |
平安京 | 1575-長篠の戦い:信長が武田勝頼をやぶる(足軽の鉄砲隊の活躍) | |||
1576-信長、安土城を築き移る | 1576-安土城築城 | ||||
1577-信長が安土に楽市の制をしく | |||||
1582-武田氏滅亡 | 1582-天正遣節 | 1580-スペイン・ポルトガル併合 | |||
1582-太閤検地の始め | |||||
1582-本能寺の変:信長明智光秀に殺される | |||||
1582-山崎の戦い:羽柴秀吉が明智光秀をやぶ | |||||
1582-秀吉が山城(京都府)で検地を行う | |||||
1582-大友・有馬・大村ら九州のキリシタン大名が少年使節をローマに送る | |||||
1583-大坂城築城 | 1583-大坂城築城開始 | ||||
1583-秀吉、柴田勝家を破る | |||||
1585-秀吉が関白となる | |||||
1586-秀吉太政大臣となり、豊臣姓を賜る | |||||
1587-秀吉が島津氏を討って九州を従える | 1587-聚楽第完成 | ||||
1588-秀吉が刀狩りを行う | |||||
1590-北条氏滅亡 | |||||
1590-秀吉の全国統一完成、小田原の北条氏を破る | 1591−千利休自殺 | ||||
1592-文禄の役:秀吉が朝鮮出兵を命ずる | 1592-天草版(キリシタン版)平家物語 | ||||
1592-朱印船制度を定める | 1593-長谷川等伯[智積院襖絵] | ||||
1594-伏見城完成 | |||||
1594-秀吉が全国にわたり検地を行う(太閤検地)。 村ごとに田畑のよしあしや面積・収穫高、耕作をして年貢を納める農民を調べ、それを検地帳に記入。検地と刀狩りによって、農村に住む農民と城下町に住む武士の身分の区別がはっきりした。 | 1600-英、東インド会社設立 | ||||
1597-秀吉が再び朝鮮に出兵する(慶長の役 | 1599-慶長版本「日本書紀」刊行 | ||||
1598-秀吉が死ぬ | |||||
1600-関ヶ原の戦い(徳川氏の覇権確立) | 1602-二条城完成 | 1602-蘭、東インド会社設立 | |||
江戸時代 1603-1867 |
平安京 | 1603-家康、征夷大将軍となり、江戸に幕府を開く「江戸幕府確立」 | 1603-出雲(島根県)の阿国が歌舞伎踊りを始める | 1603-英にステュアート朝 | |
1605-家康が、将軍職を秀忠にゆずる | 俵屋宗達「風神雷神図屏風」 | ||||
1609-オランダの商館を平戸(長崎県)におき、オランダと貿易を始める | 1609-姫路城完成 | ||||
1612-直轄領にキリスト教禁止令 | |||||
1613-伊達正宗が支倉常長をヨーロッパに派遣する | |||||
1613-徳川幕府が禁教令を全国に広げる | |||||
1614-大阪冬の陣:家康が大阪城の豊臣秀頼を攻める | |||||
1615-大坂夏の陣、豊臣氏滅亡 | |||||
1615-武家諸法度・禁中並、公家諸法度制定 | 1616-ヌルハチ後金建国 | ||||
1616-ヨーロッパ船の来航を平戸と長崎に制限する | |||||
1616-家康が死ぬ | 1617-日光東照宮建立 | ||||
1619-御三家成立 | 狩野山楽「牡丹図」 | 1618-独、三十年戦争 | |||
1619-菱垣廻船を開始 | 1620-桂離宮建立 | 1619-蘭、バタヴィア市建設 | |||
1621-このころ、シャム、インドシナ、ルソンなどに日本人町が栄える | |||||
1624-スペイン船の来航を禁止する | |||||
1625-関所・駅伝の制を定める | |||||
1629-長崎、踏絵始まる | ☆貞門派俳諧盛ん | 1628-英、権利請願 | |||
1635-日本人の海外渡航を禁じ、御朱印船を廃止する | |||||
1635-大名の参勤交代が制度化される | |||||
1637-島原の乱 | 1637-本阿弥光悦没 | 1636-後金、国号を清と改称 | |||
1637-五人組強化 | |||||
1639-ポルトガル船の来航を禁止する | |||||
1641-オランダ人を長崎の出島に移す、鎖国完成 | 1641-探幽『大徳寺方丈襖絵』 | 1642-英、清教徒革命 | |||
1641-池田光政、花畠教場設立 | 1644-李自成、明を滅ぼす | ||||
1643-田畑永代売買禁止令 | 1644-清、李を倒し、北京に遷都 | ||||
1644-宗門改めの制を定める | 1645-久隅守景『夕顔棚納涼図屏風』 | ||||
1649-慶安の御触書:農民のとりしまり | 1648-ウェストファリア条約 | ||||
1651-慶安の変:由井正雪を首謀者とする浪人たちがくわだてた幕府批判の反乱未遂事件 | 1657-徳川光圀「大日本史」 | 1660-英、王政復古 | |||
1665-山鹿素行『聖教要録』 | |||||
1670-箱根用水がつくられる | |||||
1671-宗旨人別帳 | 1671-山崎闇斎垂加神道を唱える | ||||
1671-河村瑞軒が東回り航路をひらく | |||||
1672-河村瑞軒が西回り航路をひらく | |||||
1680-綱吉が5代将軍となる | 1682-井原西鶴『好色一代男』 | ||||
1684-渋川春海貞亨暦作成 | |||||
1685-弘安の役 | 1686-熊沢蕃山「大学或問」 | 1687-ニュートン、万有引力の法則発見 | |||
1687-徳川綱吉、生類憐みの令 発布 | ☆元禄文化[元禄時代(1688〜1707)] | 1688-英、名誉革命 | |||
1689-松尾芭蕉「奥の細道」 | 1689-英、権利章典 | ||||
1690-湯島聖堂落成 | |||||
1692-西鶴「世間胸算用」 | |||||
1694-江戸に十組問屋成立 | 1694-芭蕉没 | ||||
1694-大坂に二十四問屋成立 | 1700-北方戦争 | ||||
1702-赤穂浪士があだ討ちをする | 1703-近松門左衛門『曽根崎心中』 | 1701-スペイン継承戦争 | |||
1709-徳川家宣、新井白石らを途用 | 1708-貝原益軒「大和本草」 | 1707-英、大ブリテン王国建国 | |||
1709-新井白石の改革(正徳の治):綱吉の死後、学者の新井白石が6代将軍家宣、7代将軍家継につかえて財政の立て直しを図ったが、効果はうすかった | 1709-新井白石、シドッチを尋問 | ||||
1715-海舶互市新例 | 1715-新井白石『西洋紀聞』 | ||||
1716-徳川吉宗、8代将軍となる<亨保の改革> | 1716-尾形光琳没 | ||||
1717-大岡忠相が江戸町奉行に就任 | |||||
1719-相対済し令 | 荻生徂徠『政談』 | ||||
1720-江戸町火消しをつくる | |||||
1720-キリスト教以外の洋書輸入をゆるす | |||||
1721-目安箱を置いて人々の不満をきく | |||||
1722-上げ米の制をもうけ、参勤交代をゆるめる:大名の江戸滞在を半年(それまでは1年)とするかわりに、石高1万石につき100石の割合で米をさし出させるようにした | 1724-懐徳堂設立 | ||||
1723-足高の制を定め、人材を登用する | 1727-青木昆陽がさつまいもの栽培をはじめる | ||||
1732-享保の大飢饉:各地に百姓一揆や打ちこわしが起こる | |||||
1742-公事方御定書を出し、裁判の基準を定める | ☆竹田出雲「仮名手本忠臣蔵」 | 1740-オーストリア継承戦争 | |||
1751-吉宗が死去 | |||||
1758-宝暦事件 | ☆安藤昌益「自然真営道」 | 1756-七年戦争 | |||
1767-田沼意次、側用人となる | 1765-鈴木春信、錦絵創始 | 1769-英、ワット、蒸気機関改良 | |||
1774-杉田玄白・前野良沢らが「解体新書」を著す | 1772-第1回ポーランド分割 | ||||
1776-平賀源内がエレキテル(発電機)をつくる | |||||
1779-このころ田沼父子が権力をふるう(田沼時代) | |||||
1783-天明の大飢饉 | 1775-アメリカ独立戦争 | ||||
1787-松平定信が老中筆頭になる、寛政の改革 | 1786-最上徳内が千島・樺太を探検する | 1776-アメリカ独立宣言 | |||
1789-棄捐令 | 1787-円山応挙『雪松図屏風』 | 1789-米、初代大統領ワシントン | |||
1790-朱子学以外の学問を禁止する(寛政異学の禁) | |||||
1792-林子平が「海国兵談」を著し、罰せられる | |||||
1792-ロシアの使節ラックスマンが根室に来る | |||||
1793-大御所時代(文化文政時代):第11代将軍徳川家斉は隠居して大御所となってからも政治の実権を握っていた | 1789-フランス革命勃発 | ||||
1798-本居宣長が「古事記伝」を著す | |||||
1802-十返舎一九「東海道中膝栗毛」 | |||||
1807-滝沢馬琴『椿説弓張月』 | |||||
1808-フェートン号事件:鎖国体制下の日本の長崎港で起きたイギリス軍艦侵入事件 | 1808-間宮林蔵が樺太を探検する | 1804-ナポレオン皇帝即位 | |||
1809-式亭三馬『浮世風呂』 | 1814-ウィーン会議 | ||||
1814-伊能忠敬が「大日本沿海輿地全図」を完成 | |||||
1818-平田篤胤「古史徴」 | |||||
1825-幕府が外国船打払い令を出す | 1823-米、モンロー宣言 | ||||
1828-シーボルト事件 | 1823-シーボルトが鳴滝塾を開く | 1830-仏、七月革命 | |||
1833-天保の大飢 | 1832-葛飾北斎『富嶽三十六景』 | ||||
1833-歌川広重「東海道五十三次」 | |||||
1837-大塩平八郎の乱:大阪で陽明学者で大阪奉行所のもと役人の大塩平八郎が、貧しい人々を救おうとして奉行所に申し入れたが聞き入れられず、兵をあげた。乱は1日でしずめられたが、大阪は直轄地であり、またもと役人であったことから、幕府は大きなショックを受けた | 1832-英、第1回選挙法改正 | ||||
1838-村田清風、藩政改革に着手 | 1837-渡辺華山『鷹見泉石像』 | 1837-ヴィクトリア王女即位 | |||
1839-蛮社の獄:渡辺崋山・高野長英らが幕府の鎖国政策を批判してとらえられる | 1838-中山みき天理教を開く | 1840-アヘン戦争 | |||
1841-天保の改革:老中水野忠邦による。株仲間をつくることを禁止したり、人返しの法などによって都市に出ていた農民を村に帰させたり、倹約令を出してぜいたくをとりしまったが、失敗に終わった。 | 1842-南京条約 | ||||
1853-アメリカの使節ペリーが来航し、浦賀で開国を要求 | 1853-椿椿山『渡辺華山像』 | 1852-仏、第二帝政、ナポレオン3世即位 | |||
1854-ペリーが再び来航し、日米和親条約(神奈川条約)を結ぶ → 鎖国の終了 | 1853-クリミア戦争 | ||||
1855-日蘭和親条約 | 1856-アロー戦争 | ||||
1856-アメリカの総領事ハリスが下田に着任 | 1856-吉田松陰、松下村塾を設立 | ||||
1858-井伊直弼が大老になり、アメリカ・ロシア・イギリス・フランスと修好通商条約を結ぶ | 1857-セポイの反乱 | ||||
1859-安政の大獄:大老井伊直弼は、朝廷の許しを得ずに通商条約を結び、それを批判した諸大名や数多くの志士(吉田松陰・橋本左内など)をとらえて死刑や島流しにした | 1859-金光教を開く | ||||
1860-桜田門外の変:安政の大獄によって多くの人々を処罰したため、井伊直弼は江戸城桜田門外で水戸藩や薩摩藩を脱藩した武士たちによって暗殺された。これにより、幕府の権威は地に落ちた | 1860-河竹黙阿弥「三人吉三廓初買 | 1860-清、英・仏と北京条約、露と北京条約 | |||
1861-孝明天皇の妹和宮が将軍家茂と結婚し、公武合体運動がすすめられる。公武合体の動きに対して、薩摩藩と長州藩では尊皇攘夷論がますます強まった。 | |||||
1862-生麦事件:横浜近くの生麦村で、薩摩藩士がイギリス人を殺 | 1862-黙阿弥「弁天小僧」 | 1861-露、農奴開放令 | |||
1863-薩英戦争:生麦事件に対し、イギリスが鹿児島湾を砲撃 | 1863-米、奴隷開放宣言 | ||||
1864-蛤御門の変:長州藩士が京都御所を襲う | |||||
1864-下関事件:アメリカ、イギリスなど4カ国の艦船が下関を砲撃、占領する | |||||
1864-長州征伐(第一次) | |||||
1865-長州征伐(第二次):幕府は、尊皇攘夷論の中心であった長州藩をたおそうと2度にわたって出兵し、1度目は降伏させたが2度目は失敗に終わった | |||||
1865-物価が上がり、各地で打ちこわしが起こる | |||||
1866-薩長連合 | 1866-福沢諭吉が「西洋事情」 | ||||
1866-家茂が死し、徳川慶喜が第15代将軍となる | |||||
1867-大政奉還 |